執筆・調査: スタジオアージュ Web制作・調査担当 / 最終確認: / 編集方針
本記事は公開研究の情報提供を目的とし、診断・治療・医療助言を行うものではありません。
「Nバックをやれば頭が良くなる」と「脳トレは意味がない」。どちらもネット上に大量にあって、しかもどちらも雑です。20年ぶんの研究を読むと、効果が届く範囲と届かない範囲の線がかなりはっきり引けます。線の内側まで否定するのも、外側まで期待するのも、同じくらい間違いです。
ここでは、メタ分析で何度も再現されたものだけを、効かないことと効くことに分けて並べます。背景をもっと詳しく知りたい方は、近時転移と遠隔転移のレビュー記事へどうぞ。
この記事でわかること:
議論が噛み合わない原因はだいたいこれです。効果という言葉が、人によって違うものを指している。研究者は普通、次の4段階に分けて話します。
「脳トレは効果がない」という批判のほとんどは、3と4に向いています。1と2まで否定した人はほとんどいません。ここを混ぜて話すから、正反対の主張が両方とも正しく聞こえます。
一番有名な論点がこれです。2008年にJaeggiらがN-Backトレーニングで流動性知能が伸びたと報告し、脳トレブームの引き金になりました。その後、他の研究者が同じ手続きで追試を重ね、メタ分析でまとめ直した結果、遠隔転移の効果はほとんど残りませんでした。
Soveriらは33件のランダム化比較試験から203の効果量を集めて解析し、訓練していないN-Back課題への転移は中程度、流動性知能と認知制御への効果はどちらもごく小さい、と報告しています。Melby-Lervågらが87論文・145比較を解析したときも、何らかの課題をこなした統制群と比べる限り、遠隔転移の信頼できる改善は見つかりませんでした。RCTベースのレビューだけを束ね直した2024年の再解析も、同じところに着地しています。
期待を裏切る話ですが、ここは争いが終わったと考えてよさそうです。
段階4は認知トレーニング研究で一番の目標とされてきた割に、証拠がいちばん薄いところです。学業成績や仕事のミスが減ったと示した強い研究は見当たりません。スタンフォード長寿センターなどが「脳トレが認知機能を全般的に向上させるという科学的コンセンサスは存在しない」と声明を出したのも、主にこの段階の話です。
肯定的な報告はどれも、数週間以上続けた前提で書かれています。数日で何かが変わったというデータはありません。しかも転移を調べた研究の多くは参加者が少なすぎて、小さな効果を検出できる設計になっていなかったとRedickらが指摘しました。小さいものを粗い物差しで測った数字が、期待を実際より大きく見せてきた面があります。
ほぼ全部の研究で確認されていて、ここに異論はありません。ゲームが上手くなるだけだと揶揄される部分ですが、揶揄されようと堅い効果は堅い効果です。
Soveriらの解析では、訓練していない別のN-Back課題に中程度の転移が出ています。刺激の種類や見た目が変わっても成績が持ち越されるので、手続きを丸暗記しているわけではなさそうです。
構造の違うワーキングメモリ課題にも、小さい効果が出ます。同じ解析で、言語性ワーキングメモリが g = 0.17、視空間性ワーキングメモリが g = 0.24(いずれも別の課題をこなした統制群との比較)。統制群が何もしていない場合はもう少し大きく出ますが、その数字は割り引いて読むほうがいいでしょう。ゼロではない、劇的でもない。それだけです。
否定一辺倒でもありません。Pahor、Seitz、Jaeggiが2022年に *Nature Human Behaviour* に出した3件のRCT(計460名)では、介入そのものの効果が出なかった試験まで含めて、訓練していないN-Back課題の伸びが行列推論の伸びを媒介していたそうです。誰でもIQが上がるという話は死にました。課題の中核的な能力が実際に伸びた人では推論課題にも波及しうる、という細い道だけが残っています。平均で見ると消え、個人差で見ると現れる。自分はこの結果を、期待の根拠ではなく、伸びた人と伸びなかった人を分けて考える理由として読んでいます。
| 効果のレベル | 具体例 | 現在の評価 |
|---|---|---|
| 練習効果 | 訓練したN-Back課題 | 確実に向上(議論なし) |
| 近時転移 | 訓練していない別のN-Back課題 | 中程度の転移 |
| 近時転移 | 他のワーキングメモリ課題 | 小さい(g ≒ 0.17〜0.24) |
| 遠隔転移 | 流動性知能・認知制御 | ごく小さい/否定的 |
| 実生活への転移 | 学業・仕事・日常 | 確立した証拠なし |
効果量 g は、0.2 前後で小、0.5 前後で中とされる目安です。
やる意味はあります。ただし、続ける理由を取り替えないと続きません。
IQを上げるためという理由は、まず折れます。証拠のない目標を掲げると、何週間やっても成果が確認できず、やめる口実だけが増えていくからです。
ワーキングメモリに負荷をかける数分を毎日確保する、という理由なら証拠と噛み合います。近時転移の範囲は何度も再現されていますから、少なくともその範囲では時間に見合う。
もう一つ、スコアが毎日残ることのほうが効く人もいます。同じ物差しで測り続けると、寝不足の日や疲れている日に数字が落ちるのがすぐ分かります。これは認知能力の向上ではなく、自分の状態の観測です。ただ、実用上はこちらのほうが役に立つ日が多い。
N-Back課題は、ワーキングメモリという特定の機能に測れる負荷をかける道具です。脳を全般的に強くはしません。性能ははっきりしているので、用途さえ間違えなければ十分使えます。
IQが上がるという意味ではほぼ否定されています。ただしワーキングメモリ課題への近時転移は複数のメタ分析で再現されていますし、課題そのものの成績が伸びるのは確実です。意味のある範囲と、ない範囲がある。それが答えになります。
1日5〜10分のコストに対して、小さいけれど実在する効果と、自分の状態を同じ基準で毎日測れる利点が返ってきます。割に合うかどうかは、そのコストをどう見るか次第です。
肯定的な報告の多くは、週3〜5回を4〜8週間ほど続けた前提です。数日では判断できません。
視覚と聴覚を同時に扱うぶん負荷は高くなります。ただ、遠隔転移の証拠がシングルより強いという結論は出ていません。きついことと効くことは別です。
効く範囲を知ったうえで、無理のない負荷を短く続ける。いまの研究から言えるのは、そのくらいです。物足りない結論ですが、盛った結論よりは長持ちします。